スタッフコラム

2020.02.04

スタッフコラム

【香港】今は亡き伝説の無法地帯『九龍寨城』

魔の無法地帯とも、世界最高の人口密度を誇る不法占拠地よも呼ばれた九龍城。アヘン窟、犯罪組織が運営する売春宿や賭博場を有する2.7ヘクタールのその城塞は、香港の中でも最も象徴的なモニュメントの1つであり、衛生指導員や徴税人はおろか、警察官すら立ち入ることを恐れるような場所だったが、20年以上前に完全に撤去された。しかし裏社会の中心地として知られていた九龍寨城は、多くの人にとっては単なる〃故郷〃であり、植民地としての香港の奇妙な終焉を彩った存在でもあった。


 
大陸からの人々の流入がすすみ、1980年代後半には域内に約35,000人の人々が暮らしていた。統治時代、政府は複数回にわたって同地の都市開発を試みたが、外交問題に発展する可能性を盾にして、住民たちは当局からの申し出を拒否していた。これは九龍寨城が1800年代初頭に作られ、元は軍事本部として機能していた施設で、管轄的には中国の管理下にあったからであり、中英間の関係悪化を恐れた香港当局は手出しを避けるようになった。


 
こうして九龍寨城は犯罪の温床地域となった。実権を握っていたのは、香港を拠点に活動する複数の犯罪者組織、三合会でアヘン窟やヘロインを売る屋台、売春宿、犬肉を扱う飲食店等が50~60年代にかけてエリア内に増加した。これらの違法行為に対し、三合会の危険性を認識し、政治に無頓着であった警察は目をつぶり、中には賄賂を受け取る警察関係者もいた。しかし1970年代になると当局が腐敗防止政策に乗り出し、三合会はその勢力を弱めていくことになる。


 
この城壁都市の高さは香港の他地域の高層化に比例するように上昇していった。1950年代、九龍城砦の多くの住宅は木造と石造りの低層建築が多くを占めれいたが、1960年代になると4~5階建てのコンクリートの建物が登場し、70年代には多くが10階以上のブロック建築になっていった。建物間の間隔は非常に狭く、窓を開けることも不可能で、敷地内は混沌とした窮屈な空間だったが、賃貸料が定額だったことから、域内にはおもちゃやプラスチック製品、食品を主力とする多くの零細工場が軒を連ね、工場の運営者は収入を得る一方、多くの廃棄物と火災の危険、汚染を街にもたらした。


 
そして九龍城砦に対する当局の干渉は限定的であったため、福祉サービスも他地域と同様ではなかった。住民たちはゴミ収集等の基本的な自治体サービスの不足を補い、生活を維持するために、独自の相互扶助関係を構築し、互いを助け合う緊密なコミュニティを形成していった。政府は1987年1月に取り壊し計画を発表し、九龍寨城の運命はついに決定づけられた。


 
困難な退去プロセスの後、解体作業は1993年3月に開始され、1994年4月に完了。翌年12月、同跡地に九龍寨城公園がオープンし衙府(Yamen)を含む一部の遺構が残された。多くの逸話を残し、唯一無二の存在感を放った城壁都市とそれにまつわる記憶は、取り壊されてから年月を経た今もなお、多くの香港人の中に宿っていた。


 
 

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