【宋皇臺】かつて「魔窟」があった街
啓徳空港の滑走路を正面にとらえようと、旅客機が「香港カーブ」を曲がりきるその下で、実存しつつ伝説を体現し続けていた「九龍寨城」は、今からちょうど20年前、その姿を消し、云わば「純粋な伝説」となった。伝説は時にひとり歩きを始める。
猥雑で妖しく、危険でアナーキーなイメージは、九龍寨城の城壁を越え、九龍城という名のこの街すら呑み込んでしまったかのようだ。
ともすればいまだに「九龍城=九龍寨城」と誤解されなんとなく怪しげな街のレッテルを貼られてしまう九龍城の素顔は、高さ制限された旧い街並を残す、庶民の街だ。
今は上空の騒音も、航空燃料の排ガスの臭いもなくなったこの街にタイ料理の名店を訪ねて、潮州打冷を体験しに、週末、ぶらりと出かけてみではいかがだろう。
九龍寨城とは?
九龍城といえば、かつて「一度入ると二度と出て来られない」などとも言われたほど、カオスの象徴として伝説的な存在となっている。
一般的には、「九龍城砦」と呼ばれてきたが、正式名称は「九龍寨城(きゅうりゅうさいじょう)」。1993~1994年に当時のイギリス·香港政庁によって解体工事が行われたが、この時見つかった石製の大きな扁額(へんがく)によって「九龍寨城」という名称が明確になった。
同時に見つかった砦時代の大砲の砲身などは、貴重な文化財として、現在は九龍寨城公園内の資料館に保管されている。
香港に限らず日本、ひいては世界にまでその名を轟かせ、香港の「イメージ」形成にも大きく影響している、かつての「魔窟」はどのように生まれ、成長し、そしてどのように消えたのか…。簡単にその歴史を辿ってみよう。
軍事要塞から不管理地帯へ
始まりは、香港付近の海域にしばしば現れる海賊から守るため、現在の九龍城地区に軍事要塞が作られたことによる。イギリスが香港を支配する200年以上前のこと。当時の海岸線は現在よりずっと陸地側に入り込んでいたのだ。ここを拠点に香港の安全の確保を図るため、砦として1668年に九龍烽火台が設置された。その後、イギリスがアヘン戦争に勝利すると、南京条約により清国から香港島の割譲を認めさせ、北京条約により九龍市街の界限街以南の九龍半島が割譲された。この時点で九龍城砦はイギリス領よりわずかに外れた場所にあり、清国領内であった。
1898年、イギリスが清国から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借する事を決定した際、九龍城砦は例外として租借地から除外され清国の飛び地となる。後にイギリスの圧力で清国の役人らが追放され、その後中国大陸が清国から中国国民党率による中華民国となった以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となったのである。
難民が流れ込みスラム街として肥大
1941年に旧日本軍が香港を占領した際、要塞に建設されていた城壁は、近隣の啓徳空港拡張工事の資材となり取り壊された。この期間、九龍城砦に関するイギリスと中華民国との管理交渉は中断。戦後、香港は再びイギリスの植民地となるが、経済や治安など生活上全ての面で香港自体が不安定な状況にあった。そして1949年の中華人民共和国成立に伴い、香港政庁の力が及ばないこの場所に中国大陸からの難民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化していく。
ビルが密集した街の中には…
建物は、1960~1970年代に高層RC構造建築へ建て替わるものの、無計画な増築による複雑な建築構造と、どの国の主権も及ばずに半ば放置された環境から「東洋のカスバ」、「東洋の魔窟」と呼ばれるほどに。
街は1980年代に全盛期を迎え、2.7へクタールの敷地内に500棟ほどの違法なビルが建ち、人口は4万人に達した。学校、教会、病院なども揃い、20~30の小路と数百もの抜け道が存在したという。中でもDentist Streetには、100を超えるライセンス不所持のクリニックがあったという。もちろんオフィシャルな水の供給もなく、人々は井戸を造成。それも近隣のビルに引かれている水道管に接続したものであったり、個人的に水を購入したりと様々だが決して安全な水ではなかったと言われている。
居住空間は、2または3ベッドルームの200~500スクエアフィートほどで、大きいユニットは、家族でシェアして暮らしていたという。
また、政府登録や税金が不要なため食品加工会社が多く設立され、その中でもフィッシュボールに関しては、当時香港内に流通する80%がここで作られていると言われたほどの繁栄をみせた。
ついに香港政庁が取り壊しを発表
英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定すると香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を強制移住させる方針を発表。1993~1994年にかけて取り壊し工事が行われ、その後すぐに行われた再開発で九龍寨城公園が造成された。現在、公園内には資料館が建ち、昔を今に伝えている。
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